若い人の夢を応援したいんです。
昭和39年に設立された経済界グループの経営を受け継いだ二代目社長、そして創立者の娘でもある佐藤有美さん。雑誌や書籍の発行、異業種交流会の運営など多岐にわたる活動を展開している。二代目女性社長の誕生秘話や活動に込める思いなど、有美社長にお話しを伺いました。
− 経済界グループの活動内容を教えてください。
私の父は元々作家として活動していました。創作活動をしている中で、無名な自分のストーリーよりも、著名な人たちのストーリーを発信する方が世の中の人たちに興味を持ってもらえるのではないか、と考えるようになり「経済界」という雑誌がスタートしました。その雑誌「経済界」の発行、異業種交流会「経済界倶楽部」の運営が経済界グループの活動の大きな2つの柱となっています。経済界倶楽部の発足当初、異業種交流はとても珍しい活動で先駆け的存在でした。現在は会員1000社以上の規模となり全国5ヶ所で展開をしています。
− 初めは編集者としてお仕事されていましたね。
当初は一編集者として仕事をしていました。雑誌編集記者としてはゼロからのスタートだったので、最初はダメ出しの連続でした。書いた原稿は毎回真っ赤になって戻されてきて、それを見ながら何度も何度も書き直して勉強の日々でしたね。でもその赤文字にはどこがどうダメなのか全てが書かれてあって、私にとってのテキストでもありました。
ある時、新しい雑誌の創刊で政治家のインタビューを担当することになり、いつものように必死に原稿を書き上げたんです。またダメ出しいっぱいで戻されるかと思ったら、「よく学びましたね」と褒められたんです。そのことが自信となり、編集の仕事がどんどん楽しくなっていきましたね。一編集者として外部の人とたくさん接して色々なことを学んでいきました。社長の娘という立場上、周りからは疎ましい存在だと思われていましたが、自分はあくまでも一社員として働き、編集は天職だと思うほど仕事に没頭する日々を送っていました。
− 編集から社長への転身、二代目女性社長誕生のストーリーを聞かせてください。
仕事も経験を重ねていくとそれなりに自分のやり方や考えができてきますよね。そのうちに社風と自分が合わないと感じるようになり、将来についての方向性を探るようになっていきました。そんな折、会社の経営が悪化、担当の雑誌が休刊となったのを機に退職を決意して、次の仕事の準備を進めていたんです。その頃、突然父に呼ばれて会社の経営状況についての話しをされました。普段は社長と社員ですから、父が私にそんな話をするのは初めて。私は自分の考えてることをストレートに苦言も交えながら父に伝えました。2〜3回そんな事が続いたある日「お前が社長をやれ!」と言われたんです。
ー 社長としてのスタートはどのような感じでしたか?
私が社長を引き継ぐ事については、周囲からの猛反対もあったようなんですが、父は「経理部長はできなくても社長はできるんだ!」と言ったそうなんです。社長は会社の顔であって人を動かす事ができればいいと(笑)。ちょうど世の中に女性支援の風が吹き始めた頃でもあったし、周りもすごくサポートしてくれました。そのうちに社格=会社の軸というものがわかってきて、経営者としての役割を知ることになりました。はじめはわからない事だらけでしたから、今思うと知らないからこそできたこともたくさんありますね。
− 今後の活動や目標などを教えてください。
現在も経済界倶楽部の活動は全国5ヶ所で継続しています。「経済界」の発行を月刊にしたり、WEBなどの展開も構築しながら少しずつですが時代とニーズに合う形に変革させています。また、うちの社員はそれぞれ専門分野がありますので、いずれ独立できるような道も作っていきたいと思っています。
2011年に「金の卵発掘プロジェクト」という、若い起業家のためのビジネスコンテストを立ち上げました。受賞者には表彰だけではなく、世に出るまでの後押しするというのがこのプロジェクトです。メディアでの露出、人脈や金脈までしっかりサポートしていきます。若い人の夢を応援したいんですよ。今までになかった新しいものが生まれて社会が変わる。素晴らしいことですよね。そして、若い人から色々な情報をもらえることはとても刺激になります。
− 読者の皆さまへメッセージを。
今は制度も整ってきて女性が活躍しやすくなった時代。色々な事が多様化して選択肢もたくさんありますから、いいなと思ったことは何でもトライしてみる。人と比べず自分は自分らしく、向上心を持って挑戦してもらいたいですね。そして女性はいつもおおらかにいること。これが一番大切ですね!
Profile
佐藤 有美
株式会社 経済界 代表取締役社長
2001年、父親の跡を継ぎ、株式会社経済界の代表取締役社長に就任する。日本経済の発展を掲げ、2代目社長として日々邁進中。2011年、就任10年節目の年、若い起業家の育成を通して「金の卵発掘プロジェクト」を立ち上げ、日本の元気を取り戻すための活動も始める。