「女の子は、そんなに理系得意じゃないよね」|HAPPY WOMAN ACADEMY

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誰に言われたかは、もう覚えていない

東京から長野へ、教育移住をした2児の母です。子どもたちが小学生になり、あるきっかけから私は30年前に自分で立てた一本の旗に気がつきました。

それは、「理系は、私の学ぶ場所ではない」という旗です。

中学生のころ、「女の子だもんね〜理系じゃないよね」という言葉を、何度か聞いた気がします。誰に言われたのかは、もう覚えていません。悪意もない言葉だったように思います。

ただ、その言葉はなんとなく残っているように思うのです。いまも私の体の中に。都合の良い解釈をつけて。

そう、中学、高校へと進み、理科と数学が楽しくなくなりました。よくわからない記号が増え、考える問題が出てきて、暗記でなんとかなっていたものが、ならなくなった。成績が下がり、面白さも一緒にどこかへ行きました。私は文系だからいい。そんな言葉を自分に言い聞かせていたように思います。「私は理科が苦手」だと納得させ、自分の記憶を処理したように思います。

何かをきっかけに苦手や嫌いの旗を立てて、それから考えることすらやめてしまったことはありませんか?

英語で褒められて、私は決めた

実は、同じころ、英語でとても褒められました。暗誦した文章を読んだとき、発音がいいと言われたのです。すごく嬉しくて、私は英語ができるんだ、と思いました。そこからは、英語だけは負けたくないと思うようになりました。振り返ると、合理的な判断だったし、自然な流れだと思います。それから私は英語が得意になり、外国語の学校に通い、アフリカの日本大使館や万博での通訳を担うようになりました。

それくらい、得意と思うことには力があるように思うのです。けれど、もしその時、私が理科で褒められていたら、違う道があったかもしれないと思うと、「私は英語ができる」と「私は理科ができない」は、一枚のコインの表と裏のような関係だった気がします。私は、理科も数学も物理もまとめて「理系」と呼び、そこに旗を立てました。ここは私の学ぶ場所ではない、という旗を。

旗は便利で、そして楽です。立てておけば、もう考えなくていい。そして、残念なことに、一度旗を立てた場所には、よっぽどのきっかけがない限り、二度と足を運ばなくなります。それから30年、私はその旗を一度も疑うこともなく、とにかく苦手だから関係ないものとして通り過ぎてきました。

子どもたちが6歳を過ぎたころ

子どもたちが6歳を過ぎ、健やかな体の上に、世界をどう見てどう表現していくのか、家族以外の人たちともっともっと関わっていく時期に入っていきます。

そこで私はあるヒントを求めて、リベラルアーツを学び直しはじめました。特定の専門分野に偏らず、人文科学・社会科学・自然科学などの幅広い分野を横断的に学び、物事を多角的に捉える力を養う学問や教育です。すると、世界が新しく見えるようになってきました。

宇宙の本。数式を美しいと言う人たちの本。元素記号。地球はどのように生まれたのかなど、科学、理科、算数関係の本もたくさん読みます。最初は、本当に読むのすら苦しくて、理解が全然できなかったのですが、今は面白さがわかるようになってきました。

元素記号は、やっぱりただの記号だった

元素記号や元素についても学んでいるのですが、はじめはただの記号でした。中学のときと同じです。読んでいるのに、何も入ってこない。ページは進むのに、頭のなかは動いていない。やっぱり私はこういうのが苦手なんじゃないかと、何度も思いました。

けれど、数回その分野の本を読み、授業を聞くうちに、毎日の生活が元素に大きく関わっていることがわかってきました。そして、面白くなってきたのです。

同じ雲を見ても、違って見える

変化は、気づいたら起きていました。新聞で世界中の災害の話によく出くわします。もし自分が被害にあっていなかった場合は、ああ、災害が起きてるな、大変そうだな。そんなふうに思うだけかもしれません。

そこに少し前提が加わると、どうなるか。斜めに流れる筋の雲、モクモク浮かぶ鱗雲を見ると、氷の粒なのか雨の粒なのかがわかってくる。そして雲を見て災害に思いを馳せるようになってきたのです。昨今、海の温度が上がって蒸発量が増え、一気に雲が分厚くなる。だから最近の雨は一気に落ちてくるのか、と今さらながら、自分でつなげて考えられるようになってくるわけです。他の観点からも地球の気候変動を考えられるようになってきました。

こんなこと知ってるよ、当たり前だよと思われるかもしれないのですが、同じ雲でも、知識があると見え方やそこから想像することが変わり始めます。雲自体は変わらない。私の見る目線が変わってきているだけです。今でも数式は解けないし、苦手意識はありますが、学び直しにより、前より目に入るようになり、興味が湧いてくるようになりました。

巨人の肩をどんどん借りる

科学の本は読めなかった私が、その苦手の旗をいったんおろし、わからないなりに読み学び始めたことで、見渡せる範囲が増えた、という感覚があります。

ニュートンは、自分が遠くまで見えたのは巨人の肩の上に乗ったからだ、と言っています。学ぶという行為は、自分の背丈のまま世界を見ることなく、先を行った誰かの肩を借りて、その高さから見ることもできるようになる行為と言い換えることができるかもしれません。

巨人の肩の高さから直面した問題を眺めてみると、強い人の意見にそのままのったり流されたりせずにすみます。学ぶということは、自分の軸を作ることになりますね。その軸がない限り、常に誰か一番正しそうな人の結論を借りるしかなく、あの人が言ったからこう、あの人がああ言ったからこう、とどんどん方向性が変わる人生を進むしかありません。

子どもに私たち大人が渡せるのは、高くから見渡し、細かく見ることもできる自分の軸を持つことかもしれませんね。

あなたの旗は、どこに立っていますか

先ほどもお話ししたように、私は中学から高校にかけて、理系が苦手という旗を立てたままにしていました。その旗は、私を守ってくれましたが、同時に、高く見る俯瞰力を奪っていたように思います。このまま気づかないで過ごしていたら、子どもたちの前からも同じものを消していた可能性があるなと、リベラルアーツを学び直しながら恐ろしく感じました。なぜなら、母の私が素通りするものは、この家では話題にはならないからです。

子どもは、親が何を面白がり、何を素通りするかというフレームを見ています。どこを自分の領域ではないと決めているか。それは言葉にしなくても、毎日の食卓で伝わっていきますね。苦手だと決めつけて言うとき、私たちはそれを、絶対である結果のように言います。でも、それは本当に苦手なのか。ただ、知らないだけで自分の世界を狭めている可能性もありますね。
今度本屋さんに行く際は、ぜひ中高生向け新書の棚もチェックしてみてくださいね。

【記事】増田 ちか(子育て探究家/教育キュレーター/2児の母)
学生時代の海外経験を経て、万博での南米パビリオン勤務、ジンバブエ大使館勤務を経験。その後、12年以上にわたり人材育成の研修イベント運営・営業に携わる。出産を機にシュタイナー教育に出会い、より良い環境を求めて東京から長野県へ移住。現在は「これからの時代の生きる力とは?」をテーマに、次世代の子どもたちの自由な学びと生きる力を育む環境づくりに注力している。

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この記事を書いた人

各分野のプロであり使命を持つ女性リーダーの育成【アマテラスアカデミア】のメンバーが執筆する記事をお届けします。